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家内ヨシ門松
ツイッターで石巻市北上川の河川敷に群生するヨシを使った門松作りの記事を見つけた。北上川の情景とそこで暮らす人たちの顔がフラッシュバックして目頭が熱くなる。
これってPTSDの一種なのかな・・・
溢れそうになるのを必死に抑える。

ヨシの門松は 道の駅「上品の郷(宮城県石巻市)」 で販売しているという。上品の郷は「じょうぼんのさと」と読む。風情のある響きで忘れられない。この道の駅は、北上町に支援に入らせてもらった際にレンタカーで何度も前を通った。温泉があるせいか駐車場には車が多くて、じゃあ僕らも。ついでに買い物と舌鼓を、と”正直”思ったが、車内の誰もがそれを口にしなかった。ついさっきまで僕らがいた体育館避難所の光景を思い出さずにいられなかったからだ。入口に溢れた靴。網戸の無い窓に干された洗濯物。壁中に貼られたお知らせの数々。カップメンの山。わずか3畳程に段ボールで仕切った空間で暮らす人たち。こんな環境が「生活」などと、家族や住む場所を失った人たちに更に追い打ちをかけてむごたらしい、、、僕らは被災者とのギャップに戸惑っていた。この大きすぎる違いは誰が線引いたのか。あまりにも不公平すぎる。

あの賑わいに入れまい?僕らは観光に来たんじゃない。

いつも車窓から眺めるだけだったある日思わず口に出た。
「5年か10年後、またこのメンバーで来ましょう。どれだけ復興したか確かめに来るんです。此処の美味しい物もたらふく食べましょう。」
異論は無かった。ここの風呂に入ることを楽しみに過ごす数年間も、これからの人生の中にあっていい。

前述のヨシの門松がどうしても欲しくなった。今回は素通りしたくない。
上品の郷におそるおそる電話をかけた。対応してくれた女性のゆっくり目で少しのんびりした感のある口調と独特のイントネーションな東北訛りは僕の緊張を解いてくれた。愛媛からの問い合わせに驚き喜んでくれる。地方発送可能らしい。
ありがとう、嬉しいのは僕の方です。

門松はクリスマスに届いた。素敵なクリスマスプレゼントになった。

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丁寧に作られていて凄くしっかりしている。
思いが込められているのだろう。

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手紙が入っていた。
十三浜か・・・
にっこりサンパークの仮設住宅か・・・



この門松で我が家の幸せと、津波でお母様と奥様を亡くされた制作者のお父さん。そして北上町は勿論、石巻、東日本大震災で被災された東北の皆さん、日本全国それ以上に幸せな一年が届きますように。そんな願いを込めて飾ります。
民家の門松飾りは殆ど見ないし、我が家でも初めてのことだけど、

こんな正月があっていい。



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[2012/12/26 23:42] | がんばっぺ東北 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『大津波のあとに』『槌音』
東日本大震災の記録映画『大津波のあとに』『槌音』を友人と観た。

彼とはそれまでは仕事でちょっとした付き合いがある程度だったが、彼は被災1週間後、私は3ヶ月後と時期が違うものの石巻市の避難所を訪れた者同士として、以来、お互いの思いを理解し共有し、時には心から慰め合える友人となった。忘れられない光景が口から出てくる。東北の復興はどうすればいい?自分たちに何ができる?答えが出ないのは判っているのに、ぽつぽつと。そしてふさぎ込んでしまう。もう何度繰り返したことか。

映画の内容は想像通り重く辛くて気持ちの整理が難しく、沈む。『大津波のあとに』で収録されている石巻市は、この目で見てきた状況より遙かに生々しく悲惨だ。時期が重なる彼には重くのしかかっただろう。形容する言葉が見つからないと視線を落とす。当時を思い起こされて辛かったと思う。昨夜はゆっくり休むことができただろうか。

劇中、津波で破壊された新北上大橋付近で通行整理をする行政職員の、飯野川からご遺体(恐らく大川小学校の児童と推察する)を引き取った車が走ってくる。という言葉に、私が訪れた飯野川第一小学校のことかと込み上げるものがあった。その日はボランティアによる青空図書館、綿菓子、ミニゲーム、散髪、チアリーダーダンスなどが賑わい、こいのぼりも掲げられ、小さなお祭りをしていた。私は校庭の隅でそれを眺めながらコンビニで買った昼食を食べていた。子どもたちが興じるサッカーボールがこっちに飛んでくるのを蹴り返しながら、和やかだなあ、、、との思いを砕いたのは、校舎内の大川小学校と書かれた靴箱だ。その収納能力の割には明らかに空白が目立ち、そこに置かれた紙コップ。意味が理解できずぼーっと眺めていた私の行為が、その空間を「見せ物」として貶めるように感じ思わず後ずさりするのを、しかし軽んじられないと反発する思いがシャッターを切らせた。気持ちの整理がつかないまま、大勢の避難者が生活している体育館へ向かった。その時の写真は今でも凝視できない。
戻ってきてから気になり調べると、やはりそこが大川小学校の児童数名が現在通う学校で、亡くなられた児童たちの合同葬儀が執り行われたり、学校側から保護者への説明会が開かれる場所だったのだ。
子を持つ親として、子どもの不幸はたまらない。

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(6月12日 飯野川第一小学校にて)


スクリーンの中で「ここに家があったんです」と語るおばあちゃんが立つ場所に見覚えがある。
亡くなった女子児童を「可愛いでしょう」と写真を撫でる女性たち。
その奥にたたずむ大川小学校を覆う瓦礫は私の記憶より何倍も激しい。

私が見た大川小学校は校舎2階屋上まで津波が達し、周囲は無慈悲にほぼ更地となっていた。基礎だけが延々と続く泥が乾いた灰色な世界。そして音の無い世界。どうすれば児童は命を落とさなかったのか。自然の猛威を目の当たりにし、思考がうまく働かない。せめて校舎が高台にあればと悔やむしかなかった。学校名が刻まれた正門はお花やお菓子、ジュース、折り鶴で供えられこの一角だけが明るい原色に彩られ慰霊碑となっていた。カラーペンの装飾と丁寧に書かれた文字でまだ見つからぬ我が子に語りかけるお母さんの愛情で満ち溢れた手紙が幾つもある。もしも我が子だったら・・・。視界が歪む。読みとれない。ただ手を合わせご冥福を祈るしかなかった。
帰る場所がある私は傍観者に過ぎなかった。申し訳なかった。流す涙も偽善に思え、この地を愛した人たちを裏切り命を奪った自然に憎しみをぶつけた。八つ当たりだ。しかし、花は咲くのだ。北上川に白、黄、紫の花々が風に揺れる。柔らかな薫り。眩しい新緑の中を鳥が飛ぶ。自然はなんと残酷でそして美しいんだろう。死と生。6月の北上は優しかった。私はちっぽけだ。

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(6月10日 津波が遡上した北上川にて)


『槌音』の、被災前の賑やかな映像に重ねられた津波後の町並みは祖父を失い、生家を流された監督の悲痛な心の叫びが聞こえてくるようで辛かった。
「音!どうして生活の音がないんだ。欲しい!戻してくれ!」

音が無い被災地。
風とそして重機の音のみが響く廃墟。

ふと、全てを過去形にしてしまった津波の残酷さの一端を思い出した。ジャリジャリとアスファルトが剥がれた土の道を走るとレンタカーはすぐに泥まみれになった。カーナビはここのコンビニで右折しろと言った。しかし建物は無く、水色や赤の看板はどこにも見当たらなかった。目線の下で当たり一面灰色に広がるコンクリートの残骸は震災前の姿を想像するのに困難だった。車を止めると不気味なまでに静かで、ここに暮らしていた人たちのことを思うと気がおかしくなりそうだった。

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(6月12日 門脇(かどのわき)地区にて)

劇中の「多くの人に見に来て欲しい」という言葉が、北上で「私たちは気持ちの整理がつかなくて行けないけど代わりに大川小学校を見てきてください。伝えてください。」と言われたことに重なる。彼らは知って欲しいんだこの悲劇を。

遠く離れた東北の被災者の方々の思いに気持ちを傾けることはとても意味のあることだと思う。そしてそこから何かを学び『次は我が身』。備えて、将来に活かさなければならない。それが被災地の心の復興に繋がるのではないだろうか。
辛く重く悲しい内容だが、震災を風化させないために多くの人に被災地の映像を見ていただきたい。

「生き残って申し訳ない。」と言う女性の「私たちなら1日目に何が必要で、3日目に何が必要なのかが判る。長靴。靴下。水。報道された時に送ったのでは遅い。集まりすぎてしまうから。次は私たちがすぐ駆けつけて助けてあげたい。」と赤い目で前を向く姿。
夢に出てきた行方不明のおばあちゃんを探す男性の、捜索活動を手伝う自衛隊員へ示す御礼の姿。

彼らの姿を深く心にとどめなければならない。

私はもっともっと被災された方々の思いを知りたい。


「大津波のあとに」「槌音」



[2012/01/30 23:36] | がんばっぺ東北 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
震災から半年
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職域のご縁で松山の北のほうを走ってきた。
菊間の辺りから初めて走る農免道路は気持ちのいいアップダウンの繰り返しで、
天候にも恵まれたせいで、何度も走りたくなるコースになった。

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ほど良く山間部も走った全長70キロ。
初めて一緒に走った方もいて、どんどん増えていく自転車仲間の輪。
これが自転車乗りの醍醐味なんだろうな。

そして家に帰れば大切な家族が待ってくれている。
子供たちが見せてくれる愛くるしい寝顔は至上の癒し。

好きなことが出来る日常を、当たり前に過ごすことがどれだけ大切で贅沢か。

今日は9月11日。
東日本大震災から半年。
東北地方では、震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、14時46分に黙祷がささげられたはずだ。


今日からちょうど3ヶ月前。
被災された方々と一緒に黙祷をささげた私は、恥ずかしいことにその行為に実が無かった。想像を絶する津波の爪痕を目の当たりにした私は、発災直後どう対応すれば多くの人が死なずにすんだのか。教訓として活かすと言うにはあまりにも悲惨な状況下、亡くなられた方々に天国でゆっくりお休みくださいなんて言葉は正しくない、では何を思えばいいのか。思考が思うように働かないまま、答えが見つからないまま、静けさの中に1分間が流れていってしまった。

童謡に ふるさと がある。


 兎追いしかの山
 小鮒釣りしかの川
 夢は今もめぐりて忘れがたき故郷

 如何にいます父母
 恙なしや友がき
 雨に風につけても思いいずる故郷

 こころざしをはたして
 いつの日にか帰らん
 山はあおき故郷水は清き故郷


幼かった頃、おじいちゃんやおばあちゃんの家に遊びに行ったこと。古い建物で、夜にはトイレに一人で行けなくて親を困らせたり。近所の山に昆虫を取りに行ったり。
畑に忍び込んで果物をこっそり食べたり。
人それぞれで色んな景色を思い出すだろう。

東北には、この風景を失ってしまった人たちがたくさんいる。
復興が進んで新しい街が出来ても、無くした昔の風情はもう戻ってこない。


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それとうやむやにしてはいけないのが
特に、遠く離れた場所に住む私たちは破壊された建物の映像しか見えてこないから、どうしてもぼやけてしまうけど、2万人近い人が亡くなった事実。

生まれて数ヶ月の赤ちゃん
通園バスで通う園児
ガレキの中の作業着や革靴の主はどこへ行ったのか。

大勢の方の死をしっかり受け止めなければいけないんだと思う。

出来ることは微々たることだけど、いや何も出来ないけど
思うことだけでも風化させないことに繋がるんじゃないかな。

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東北で生き抜く人たちの心の平穏が、1日でも早く訪れますように。


[2011/09/11 22:12] | がんばっぺ東北 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
それでも花は咲く
熱中症になるんじゃないか・・・

今、あの人たちに必要なものはお金じゃなくて
扇風機
エアコン

体育館には網戸が無いんだよ
だから、夜、虫が入ってくるから早々に窓を閉めるんだ。

仕事を無くして、家を無くして、大切な家族を亡くして
それでも生きているのに、現実は過酷。

” ワタシの持ち物は制服と名札だけです- ”

なんなんだこの差は。

現地で直接支援できる機会を頂いて、
与えられた自分の役目を終えて戻ってきて、
見てきたこと感じたことを伝える機会にも恵まれて、
でも、モニターやテレビの向こうの映像に
心、ここにあらず。魂みたいなものを置いてきた。そんな気がする。

酒を飲んでると楽なんだけどね。
一応、ハジケルことはできる。


帰ってきてから約半月

やっと気持ち疲れが取れてきたかな・・・

ロードレーサーに乗る気力がこれっぽっちもなかった。。。が、


そろそろ、走ろうかな・・・と思えてきた

体をちゃんと作っておかないと、後悔することになるしな・・・

「ツールド福山・往復2日間300キロ越え」

「ミッドナイト・エンデューロ」

「ツールド土佐」

やるからにはやれることをやらんと。申し訳ない。


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(北上川にて)

がんばれ石巻。
がんばってください。

[2011/07/01 22:28] | がんばっぺ東北 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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