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『大津波のあとに』『槌音』
東日本大震災の記録映画『大津波のあとに』『槌音』を友人と観た。

彼とはそれまでは仕事でちょっとした付き合いがある程度だったが、彼は被災1週間後、私は3ヶ月後と時期が違うものの石巻市の避難所を訪れた者同士として、以来、お互いの思いを理解し共有し、時には心から慰め合える友人となった。忘れられない光景が口から出てくる。東北の復興はどうすればいい?自分たちに何ができる?答えが出ないのは判っているのに、ぽつぽつと。そしてふさぎ込んでしまう。もう何度繰り返したことか。

映画の内容は想像通り重く辛くて気持ちの整理が難しく、沈む。『大津波のあとに』で収録されている石巻市は、この目で見てきた状況より遙かに生々しく悲惨だ。時期が重なる彼には重くのしかかっただろう。形容する言葉が見つからないと視線を落とす。当時を思い起こされて辛かったと思う。昨夜はゆっくり休むことができただろうか。

劇中、津波で破壊された新北上大橋付近で通行整理をする行政職員の、飯野川からご遺体(恐らく大川小学校の児童と推察する)を引き取った車が走ってくる。という言葉に、私が訪れた飯野川第一小学校のことかと込み上げるものがあった。その日はボランティアによる青空図書館、綿菓子、ミニゲーム、散髪、チアリーダーダンスなどが賑わい、こいのぼりも掲げられ、小さなお祭りをしていた。私は校庭の隅でそれを眺めながらコンビニで買った昼食を食べていた。子どもたちが興じるサッカーボールがこっちに飛んでくるのを蹴り返しながら、和やかだなあ、、、との思いを砕いたのは、校舎内の大川小学校と書かれた靴箱だ。その収納能力の割には明らかに空白が目立ち、そこに置かれた紙コップ。意味が理解できずぼーっと眺めていた私の行為が、その空間を「見せ物」として貶めるように感じ思わず後ずさりするのを、しかし軽んじられないと反発する思いがシャッターを切らせた。気持ちの整理がつかないまま、大勢の避難者が生活している体育館へ向かった。その時の写真は今でも凝視できない。
戻ってきてから気になり調べると、やはりそこが大川小学校の児童数名が現在通う学校で、亡くなられた児童たちの合同葬儀が執り行われたり、学校側から保護者への説明会が開かれる場所だったのだ。
子を持つ親として、子どもの不幸はたまらない。

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(6月12日 飯野川第一小学校にて)


スクリーンの中で「ここに家があったんです」と語るおばあちゃんが立つ場所に見覚えがある。
亡くなった女子児童を「可愛いでしょう」と写真を撫でる女性たち。
その奥にたたずむ大川小学校を覆う瓦礫は私の記憶より何倍も激しい。

私が見た大川小学校は校舎2階屋上まで津波が達し、周囲は無慈悲にほぼ更地となっていた。基礎だけが延々と続く泥が乾いた灰色な世界。そして音の無い世界。どうすれば児童は命を落とさなかったのか。自然の猛威を目の当たりにし、思考がうまく働かない。せめて校舎が高台にあればと悔やむしかなかった。学校名が刻まれた正門はお花やお菓子、ジュース、折り鶴で供えられこの一角だけが明るい原色に彩られ慰霊碑となっていた。カラーペンの装飾と丁寧に書かれた文字でまだ見つからぬ我が子に語りかけるお母さんの愛情で満ち溢れた手紙が幾つもある。もしも我が子だったら・・・。視界が歪む。読みとれない。ただ手を合わせご冥福を祈るしかなかった。
帰る場所がある私は傍観者に過ぎなかった。申し訳なかった。流す涙も偽善に思え、この地を愛した人たちを裏切り命を奪った自然に憎しみをぶつけた。八つ当たりだ。しかし、花は咲くのだ。北上川に白、黄、紫の花々が風に揺れる。柔らかな薫り。眩しい新緑の中を鳥が飛ぶ。自然はなんと残酷でそして美しいんだろう。死と生。6月の北上は優しかった。私はちっぽけだ。

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(6月10日 津波が遡上した北上川にて)


『槌音』の、被災前の賑やかな映像に重ねられた津波後の町並みは祖父を失い、生家を流された監督の悲痛な心の叫びが聞こえてくるようで辛かった。
「音!どうして生活の音がないんだ。欲しい!戻してくれ!」

音が無い被災地。
風とそして重機の音のみが響く廃墟。

ふと、全てを過去形にしてしまった津波の残酷さの一端を思い出した。ジャリジャリとアスファルトが剥がれた土の道を走るとレンタカーはすぐに泥まみれになった。カーナビはここのコンビニで右折しろと言った。しかし建物は無く、水色や赤の看板はどこにも見当たらなかった。目線の下で当たり一面灰色に広がるコンクリートの残骸は震災前の姿を想像するのに困難だった。車を止めると不気味なまでに静かで、ここに暮らしていた人たちのことを思うと気がおかしくなりそうだった。

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(6月12日 門脇(かどのわき)地区にて)

劇中の「多くの人に見に来て欲しい」という言葉が、北上で「私たちは気持ちの整理がつかなくて行けないけど代わりに大川小学校を見てきてください。伝えてください。」と言われたことに重なる。彼らは知って欲しいんだこの悲劇を。

遠く離れた東北の被災者の方々の思いに気持ちを傾けることはとても意味のあることだと思う。そしてそこから何かを学び『次は我が身』。備えて、将来に活かさなければならない。それが被災地の心の復興に繋がるのではないだろうか。
辛く重く悲しい内容だが、震災を風化させないために多くの人に被災地の映像を見ていただきたい。

「生き残って申し訳ない。」と言う女性の「私たちなら1日目に何が必要で、3日目に何が必要なのかが判る。長靴。靴下。水。報道された時に送ったのでは遅い。集まりすぎてしまうから。次は私たちがすぐ駆けつけて助けてあげたい。」と赤い目で前を向く姿。
夢に出てきた行方不明のおばあちゃんを探す男性の、捜索活動を手伝う自衛隊員へ示す御礼の姿。

彼らの姿を深く心にとどめなければならない。

私はもっともっと被災された方々の思いを知りたい。


「大津波のあとに」「槌音」



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[2012/01/30 23:36] | がんばっぺ東北 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
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コメント
御覧頂きましてありがとうございました
御高覧頂きまして本当にありがとうございました!
本日と明日、松山シネマルナティック様にお邪魔いたします。
松山は初めてです。お客様と少しでもお話しできたらと思っております。
[2012/02/01 05:56] URL | 森元修一 #- [ 編集 ]
森元監督さんへ
本日は貴重なお時間を頂戴しありがとうございました。もっとお話をしたいと名残惜しいですが、次の機会を期待して取って置こうと思います。
被災直後の現地取材は言葉に出来ない大変なご苦労や、戻られてからのストレスも相当なものがあったと思います。しかし、お蔭様でその映像から伝わってくるものは将来にとても貴重なものです。この震災を風化させないためにも、現地の方々の思いを広く伝えるためにも、亡くなられた方々の生きた証のためにも、そして私達の生きていく指針のためにも、これからも強いお気持ちで頑張ってください。応援しています。
森元監督さんの益々のご活躍とご多幸をお祈りしております。
今日はありがとうございました。
[2012/02/01 21:47] URL | モト #uv1J38xk [ 編集 ]
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